まちづくり?
 このページは、日常の都市計画業務の中で感じたことをつれづれなるままに書き記したものです。  個人的独断的な意見ですのでそのつもりでご覧下さい。
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プロポーザル・コンペ雑感(1)
 このところ、事業者を選定するために、プロポーザル・コンペが実施されることが多くなっています。
 当社も、このところ立て続けに以下の3件のプロポーザル・コンペに係わりました。つまりコンペに応募する側、審査する側としてです。

(1)○市:ある土地利用調査へのプロポーザル・コンペへの応募
・市から4社の指命で応募を要請されたもの。
・いくつかの要求事項について、考え方の提示を求めるもの。
・調査の内容自体は、ほぼ決まっている。

(2)△市:ある地区の開発に係る事業者選定のためのプロポーザル・コンペへの応募
・市から、ゼネコン・コンサルタントなどにプロポーザルの応募が要請されたもの。
・事業の内容が概ね検討済みとなっている。
・法人としての過去の類似事業に係わった実績、調査の体制、進め方についてのコメントを求めるもの。
・当社は、ある企業に対する協力者として応募したもの。

(3)□市:ある地区の開発に係る事業者選定のために事業計画提案を求めるもの(主催者側のコンサルタントとして)
・一定の条件を明示して、事業計画提案を求めるもの。
・地区整備計画及びそれを支える事業収支計画等を求めるもの。

 こうしたコンペに係わってみて、改めて感じることがありましたので、私の考えを書いてみたくなりました。

 (民間も同様ですが)例えばある市が委託事業者を選定する場合、いくつかの方法が考えられますが、ここでは、プロポーザル・コンペを中心に、関連して必要と思われる事項に限定して書いていきたいと思います。

【競争入札】
 最も少ない経費で委託業者を選定する場合、「競争入札方式」は通常に行われている方式であり、一般の人々にとって、最適の方法と考えられるかもしれません。
 事実、横須賀市では、インターネット入札方式を採り入れて市財政支出を数十億円削減したことが、以前新聞等で報じられたことがありました。(出来上がりの「質」を問わず)ただ安くあげるだけならこれほど最適な方法はないかもしれません。
 まあ、良い仕事ではなく安く上げること(「だけ」とは言いませんが)を期待するなら、どんどんこの方式を採用するのが良いだろうと思います。

【特命方式】
 競争入札に対して、「随意契約(略して随契)方式」というものがあります。これは、発注者が、この事業を実施するのに最適だと考えられる事業者と契約を行うものです。
 一般的には、契約費用はかなり高額になると考えられているのでしょうが、実際には、担当部局が費用を設計し予算編成のため財政部局に上げていった費用から○割カットされて予算化されているわけですから、そう高額になるわけではありません。しかし通常は、競争入札の金額より高くはなることが多いと考えられます。
 当社のこれまでの契約は、殆どがこの方式でした。それも「これしか予算がなくて申し訳ないが、この調査を発注したいので受けてもらえるだろうか?」との打診付きです。決して十分な費用とは思えませんが、そう言われて断れますか?コンサルタント冥利に尽きるというものです。限られた費用であっても最大の結果を出してあげたいと考えるものです。
#競争入札にこんな気分が生じるわけありません。
 しかし残念ながら、今や、特命方式で業務契約が行われることは、まずありません。
 当社がこの業務に魅力を感じなくなった大きな理由の一つとして、こういう事情があります。

【(プロポーザル)コンペ方式】
 発注者としても、競争入札で事業者の選定することはまずいと考える場合があります。発注者が重要視している事業などの場合です。
 こうした場合、現在では特命方式が問題視されがちなので、より公明正大に事業者を選定しうる方式と考えられ、検討されるのがコンペ方式となります。そして厳密にコンペを実施しようとすると、審査する側も、応募する側もかなりの作業量が必要とされることになるため、より簡単に事業者を選定しうる方式として「プロポーザル・コンペ方式」が実施されるようになってきたのです。
 現在、これに変わりうる事業者選定方式があると考えられないので、私個人としてもこれを否定するものではありませんが、問題なのは、そのやり方が問題だらけだということです

(ちょっと長くなりましたので、続きは次に)
あなたの家の耐震性は大丈夫ですか?
 今年になってからもTVで何回も特集されていたのを、皆さんもきっとご覧になったことがあるでしょうから、今更、関東大震災の心配を私が書くまでもありませんね。
 しかし、残念なことに、地震に対する備えは、都市レベルでも家庭レベルでもなかなか進んでいないと聞いています。

 今回、私の家では耐震補強工事を実施しましたので、その際考えたことを整理してここにご報告させていただきます。
 
1.住宅の耐震補強工事の重要性

 こんな仕事(都市計画)をしているせいでしょうか?恐らく一般の方々より大地震に対する恐れをより強く感じていることは確かでしょうが、自分の家を守ることの重要性について、私はこんなことを考えていました。

・日本の中心部である関東地方における大地震の災害は、神戸や新潟県中部における地震被害など比べものにならないほど、救助・支援は遅れる筈だし、貧弱な物にならざるを得ない。そのため、災害後の生活・復旧の拠点の有無は極めて重要になる筈である。
・基本的には、各家庭にとっての地震被害は、「建物が倒壊している」~「安全に存続している」までの幅の中で大きな差がある。どのような形であれ、建物が安全に存続していてくれれば、自宅内の物資の活用~生活空間の確保が可能になるわけであるが、危険状態で残ったとしても、生活・復旧の拠点には利用できない。
・であれば、個人でできる大地震対策として、何とか安全に存続しうる家の確保を考えたい。



2.耐震補強工事の方法の選択


 どのような方法で耐震補強工事を進めるべきか?私が最も悩んでいたことがこれでした。我が家のように、築44年で、その後も何回か増築をしている家では、ちょっとやそっとのことで納得できるような耐震補強ができるとは思えなかったからです。
 ちょっと調べてみても、耐震補強工事には様々なものがあって「耐震ナビ」のページより)簡単には判断できません。

 私の判断基準は、
・我が家のように特に基礎に不安がある老朽住宅であっても、確実に安全性が確保され、容易には倒壊しないこと。また、中途半端な壊れ方をすることなく、震災後も確実な安全性が確保できていること。
・耐震補強工事の成果が十分納得できる工法であること。
・工事中、日常生活への影響が少なくて済むこと。
・工事期間が短いこと。
・工事費用はできれば少額であること。


 私は、大学の同期の仲間でML(メーリングリスト)を作っているのですが、建築学科出身ですのでその方面の十分な情報が得られます。そうした中で得られた情報から選択したものが「耐震ポール」による耐震補強でした。
 その他の多くの工法が部分的強化の積み上げであり、どの程度の強化が図られるのかが不明な中で、この方法は、極めて単純な発想によるものですが、その理論は明快であって私としても十分納得できるものだったからです。

3.工事実施の結果について

 この工法を採用するには次のような条件が必要になります。
・地盤が良好であること
・建物周辺にポールを立てる余裕が必要であること


 こうした条件が得られない場合、それぞれ地盤改良をしたり、建物内にポールを立てると言った対策がないわけではありませんが、やはりそれはやむを得ない場合に検討すべきことでしょう。
 ちなみに我が家では建物内にもポールを立てる工事を行いました。

 私自身、この工法に出会えたことは大変幸運だったと思っています。そして、これまでいくつかの工事に係わってきているのですが、これほど満足感の得られた工事はありません。また今回は、工事関係者にも恵まれていたと思っています。
#ちょっと褒めすぎですかね(^^ゞ。

 工事の詳細については、ここの別ページでまとめて紹介しているとおりです。参考にしていただけたら…と思います。

 もちろん、工法の選択はそれぞれの事情に併せて行えば良いことですが、私は、一つの選択肢として「耐震ポール」をお奨めしたいと思います。

 そして、何よりも、あなたの家の「耐震補強」をお奨めしたいと思います。
超高層マンションが良いと思います?
 超高層マンションの開発が首都圏を中心に活発に進んでいる。売れ行きも好調らしい。下層部は売れ残っていても、高層部は高い値付けがされ取引も活発であるようだ。価格も、現在のところ希少性もあって他のマンションよりも価格が低下しないらしい。
 超高層マンションというと、つい思い出すのがル・コルビジェの未来都市のイメージや、高度経済成長期に示された東京湾開発の塔状住居群である。今の超高層マンションを、ようやく技術がそこまで追いついてきたと考える見方もあろう。しかし、一方で、幕張ベイタウンのように、あえてタワー状にしないで街区型の建築で住戸群を形成しようという動きもあることにも着目して欲しい。
 それぞれが形成する都市は大きな違いがあるのだが、どちらがより人間的か?と問われれば、私はためらわずに後者であると答えるだろう。



1.超高層マンションでの生活は?

 以下の、(ゼネコン設計部の)友人のアドバイスにもあるように、超高層マンションは、子供の成長にとって好ましくないという説が強くあり、様々な調査報告もある。そもそも地上から離れた場所が子供を育てる環境ではないと考えて良いだろう。窓も開けられない状況の中でどうしても室内中心の生活を強いることになり、それが健全な人間の成長に良い影響を及ぼすとは考えがたい。

 それ(構造云々)以前に 超高層マンションは高齢者向き あるいは子どものいないディンクス あるいはシングル向きだと思います。小さな子どもがいたり これから子育てをするような家族には余りお勧めできません。外に出て行く機会が少なくなり どうしても家の中にいることが多く、子どもの成長にとって問題なしとはいえないと言う人たちもいます。その意味で中層以下がお勧めです。できれば○○さん(私のこと)の言われるように低層の集合住宅がいいと思います。
 さらに ディベロッパーや施工会社についても気にしたほうがよいと思います。なるべく名の知れたところでそれなりに名を惜しむところがいいと思います。あとあと何か問題のあった時の対応に差が出ます。性能評価をとっているかどうかも判断材料の一つになると思います。
 集合住宅に住む場合 集合住宅に住む適性を持っているかどうか も自己チェックする必要があります。壁一枚、床一枚で生活を異にする人が接触するように住むのですから、あまり音に敏感な場合、集合住宅に住むのはいかがかと 思います。周りからの音を完全に遮断することはできないからです。



 超高層マンションの「売り(利点)」として、良く引き合いに出されるのは、眺望・共有空間・オープンスペース等であろう。

・眺望は、それが期待できるのは、超高層の中でもかなりの上層階に限定されるのに対して、超高層ビルがつくるスカイラインは、都市景観を大きく変えていくものであることがどれほど認識されているのだろうか?私には、独りよがりの建築に見えてならない。

・豊かな共有空間をつくることができると言われるが、多人数が一つの建物に居住することの「管理」の難しさがどれほど認識されているのかどうか。また、共有空間は一建物内で完結するものではなく、都市内の多数の他の施設との選択の中で利用される方がより豊かな生活につながるものであろうし、事実、診療所等がマンション内にあったとしても、実際に利用するところは町中の評判の良い施設であるということは、よくあることである。

・オープンスペースは、確かに超高層にすればより広く確保できることは確かだろう。しかし、問題は、そのオープンスペースの質であって、周辺の諸施設・空間との関係での判断が必要である。それより、周辺の町と孤立して、そびえるマンション生活より、低層で、周辺の町と親密な関係を築きながら営まれる生活の方が、より人間的な生活だと思うのである。


2.構造の安全性は担保されているのか?

 かって、超高層と言えば鉄骨造の「柔構造」であった。つまり五重塔や竹のように、地震力を適度に逃がしながら耐える構造というわけである。

 独立行政法人防災科学技術研究所とNPO法人「木の建築フォラム」は、五重塔の模型(縮尺5分の1)を使った振動台実験を2004年11月22日から12月24日にかけて実施した。その模様を動画でお伝えする(映像提供:防災科学技術研究所)。五重塔の振動台実験としては国内最大だ。
 で、実験結果はどうだったのか。同研究所の箕輪親宏総括主任研究員は「五重塔は、5%以上の高減衰性能を持つ建物であることがわかった。塔の最上部に取り付く金属製の相輪が大きく揺れることでパッシブ制震の効果を生み出していると考えられる。地震の波形によっては五重塔が蛇のように動くこともわかった」と説明している。



 しかし、近年の超高層マンションは鉄筋コンクリート構造が主流となっている。それは、設備関係のグレードの向上が求められる中で競争力を高めるために、安価な構造が求められることにより生まれてきたニーズであると言っても良いであろう。鉄筋コンクリートは当然耐震構造であるから、地震の震動に対し耐える構造である。したがって、超高層の場合には、当然上層ほど変位量も大きく揺れも大きくなる。つまり構造的にも危険であり、人的な被害も大きくなる可能性がある。最近の超高層マンションで採用されている「制振構造」はそれを和らげるために、むしろやむを得ず開発された技術であると見るべきである。
#そういえば、制振構造は構造上、音に対しては通常のマンションより弱いことが、モデルルームで展示されていた断面構造を見ていて、私にも良くわかった。
 また、そこに使われるコンクリートも通常のコンクリートの3~4倍の強度を持つコンクリートであるという。


#参考:(財)資産評価システム研究センター資料閲覧室より

・普通コンクリート(ふつうコンクリート)
 粗骨材として川砂利や砕石、高炉スラグ砕石、細骨材として川砂や砕砂、スラグ砂などの普通骨材を使用した、最も使用比率の高いコンクリート。日本建築学会・建築工事標準仕様書・鉄筋コンクリート工事(JASS.5)に定められる基本仕様の場合の設計基準強度は150~240kgf/cm2、気乾単位容積質量2.2~2.4t/m3の範囲にある。

・超高強度コンクリート(ちょうこうきょうどコンクリート)
 圧縮強度が800~1000kgf/cm2を超えるような非常に高い強度を持つコンクリート。高減水性混和剤や、シリカフュームなどのポゾラン反応を有する超微粒子物質の利用により、理論結合水に近いところまで減水可能になり、現場打ちでも超高強度コンクリートの施工が可能となった。



#それを壊すための技術もまだ十分開発されていないのだとは、これまた設計事務所の友人の話しである。

 つまり、コンクリート素材としても構造システムとしても、より高い技術を前提にしたものであると言えよう。その安全のためには、当然厳しい性能の確保が安全の前提となる。しかし、それがどれほど危ういものであるかは、これまでの様々な事故が証明しているようなものである。

 兵庫県南部地震で800gal、鳥取県西部地震で900gal、新潟中越地震で1700galを越す加速度が記録され、その度に「このような大きな加速度は想定していなかった」と言われているのが現状なのである。


 特に、最近は臨海部の超高層マンション開発が盛んである。しかし、それを支えるためには、地下60m~70mの杭が入っていることを一般の人々は知っているのであろうか?そこでは、間にある60m程の深さの地盤は何も動かないことが前提とされているのである。また、地震力の解析には不確定な要素が多く確かな物ではないにも拘わらず、水平力としてしか考慮されていないことを一般の人々にはどの程度理解されているのであろうか?特に、直下型地震については誰もわかっていないということが、どれだけの人が知っているのだろうか?
 私だけでなく、私の友人の建築の専門家の誰もが、家族の生活の器としては、低層のマンションを薦めているのである。

 最近、建築学会で作成した「地盤震動」丸善 が出版されたが、私の友人(構造の専門家)は次のように言っている。
 改正基準法の地震動想定には多くの問題があり、国は、基準法の規定は最小要求事項であって、耐震的な安全性を必ずしも保証するものではないと逃げを打っています。
 別に、内閣府の地震研究推進本部の長期評価部会が、これまでの活断層調査、平野規模の深い地下構造調査結果に基づき、各地域の地震動予測解析を行い、これを地震危険度マップとしてここ2、3年でまとめようとしています。しかし、このマップでは基準法の地震動規定との関係にはふれるつもりはないとしています。また、国土交通省も知らぬふりです。
 設計実務家が、判断をして耐震安全性に関する性能設定をし、施主の了解を得るという難しい役割を強いられることになっているのが現状です。




3.建て替えや補修はどうするのか?

 阪神淡路の大震災で、被害を受けたマンション約200棟のうち、現在に至っても建て替え・修復の終わっていない建物が約1割存在するという(先日のTVの情報なのでうろ覚えであるが)。その大半は、住民の合意形成ができないことによる。超高層マンションは、一棟で数百~千に近い世帯数の建物である。それだけの人々の合意形成がいかに難しいか、それだけでも良く理解できる。
 また、それを将来建て替えるとなったら、技術的にはどうするのか?また、どのような金額になるのか?考えるのが恐ろしくなる。先日、廃止の決まったあるダムの破壊費用が(記憶では)46億円だという。しかもそれも安全性を考慮すればさらに上乗せになるという。一体、こうした費用は誰が負担するのか。超高層マンションの将来は人々に見捨てられ廃墟になるのであろうか?それにしてもその安全対策の費用は誰が負担するのか?今のところ、ニューヨークのマンハッタンではそういう問題が生じているのかどうか、報告を聞いたことはないが、物には自ずと寿命がある。永久にそういった問題が生じないと考えているのだろうか?
#先日の飲み会で、超高層マンション建設に携わっている友人に聞いてみた。「誰も壊すことなんて考えていないんじゃないの?」が彼の答えであった。
 つまり、超高層マンションは、まぎれもなく、将来の世代に大きな「ツケ」を押しつけるものなのである。それを誰もが考慮していないのが事実なのである。


4.最後に

 確かに、高いところからの眺望はホテルにいるようで快適かもしれない。しかし、それはあくまでも平常時の問題である。いざ災害となった時、数十階の建物がどれほどの苦痛になるか、超高層に住もうとする人はあまり問題にしていないらしい。
 いずれにしても、確実に訪れる関東大震災。その時、超高層マンションほど評価が割れるものはないだろう。さらに評価が高まるのか、一気に評価が下落するのか…。ただ、仮に評価が上がったとしても最後の問題は、誰も解決してはくれない問題なのである。
 最後に、先のゼネコン設計部の友人のコメントを掲載させていただこう。

 今日一日阪神大震災関連の番組や記事を見て目からうろこがいくつかありました。

◆一つは、「不用意な怪我をするな」だ。あわくって飛び出して転んだりして、不用意な怪我をするなという発言だった。それでなくても地震そのものの作用で怪我をする人が多いのだから、余分な怪我をして世話を焼かせないこと。というのだ。

◆一つは、既存住宅の耐震性補強がなかなか進んでいかないが「住宅の耐震性補強は家族・生活を守るためのものだ」という発言
 当然のことだが我々はどうしても工学的な方に目が行ってしまう。


専門家が必要ですか?
 先の「地区のまちづくりの進め方」とは、ちょっとウラハラなことを書くようですが(^^ゞ。

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 バブルが弾ける頃までは、都市計画・まちづくりコンサルタントの仕事はやり切れないほどあったものである。それ自体異常なのであるが、あまりバブルの恩恵を蒙らなかった私の所のような会社でもかなり忙しい思いをしていた。
 それで、人を入れようにもこの仕事、クライアントは役所を中心として専門的な部署が多いので、コンサルタントとしてもかなりの専門的知識を必要とするし、新人が育つには年月がかかりすぎる。バブル時代には、「まちづくり」というイメージに惹かれてくる若い人々は、実際にはかなり地味で、知識・経験からかなりの努力も必要とされるこの仕事は耐えられないようであった。そのため、以後は業務を「都市計画」とし、日経新聞のみの求人に切り換えたものである。そんな中で、土木・建築等の出身者は、学生時代から徹夜仕事には慣れていることもあって、この仕事には向いていたようである。
 いずれにしても、その頃の仕事は「クライアントの要望にいかに応えるか」がメインであり、専門的な知識・能力が必要とされる計画(プランニング)の実務的な仕事が殆どであったと思う。

 バブル崩壊以後、緊縮財政の進行や市民意識の向上とともに、まちづくりには市民との合意形成のための作業が多くなった。そこでは都市計画(プランニング)よりも、合意形成プロセスが重視されるようになったように思う。格好良く言えば、私がやむを得ず言っている「プロセスのプランニング」が重要になってきたというわけである。ワークショップがもてはやされるようになり、それを専門とするコンサルタントまで出現したが、そこでは、全ての責任が市民に委ねられ、都市がどうあるべきかを考える専門家はむしろ不要として扱われているかのようである。責任を持たない(持ちたくない、持つ必要のない、持てない)人々には都合が良くなったのかもしれないとすら思う。
 確かに、その専門家が時代の波に乗ってバブルを招き、それに有頂天になって、この醜い国土・都市・農村を作ってきたことを反省する必要があるが、やはりこの国土の将来像を責任を持って考えるのは都市計画の専門家ではないんだろうか?私は、そう思っているし、そう思っていたい。
#それにしては、あまりにも無責任な専門家が多いのも事実なんだろう。もともとそういう無責任な開発担当者は専門家と呼ぶべきではないのかもしれないとも思うが、誰も区別できないのだから…。

 そのうちに、財政が破綻しかねない状況になり緊縮財政がさらに進み、都市づくりの予算が極限まで削られるようになってくると、市民参加=まちづくり、すなわち市民との話し合いが重要で、それが都市づくりを進めなくても良い口実にすらなっているように思える場面も見受けられるようになってきた。
 一方、活発に進むのは、都心再開発・住宅開発等、これが望ましい都市づくりと言えるのかどうか疑問に感じざるを得ない開発ばかりになってきた。つまり、底の浅い経済原則で動く都市づくりは進むが、本来求められるべき公共的な理念は軽視され、経済的なポテンシャルの乏しい地方都市の都市づくりは進めることができないということになってしまった。つまり、東京だけがバブル的で見苦しい都市づくりをどんどん進め、地方はさらに疲弊していくというのが、最近の都市づくりの構図である。


 PFI事業も経済原理が基調にあるので、必要不可欠な公共事業であってかつ経済的に成立しうる事業でしか成立しない。つまりいわゆる「普通の」地方はうち捨てられてしまっているかのようである。

 都市づくりと思って進めていたものが、いつの間にか都市壊しになっていなければいいのだが…と思う。

 都市計画・都市づくり・まちづくり…言葉はどうでも良いけれど、現在、ビジネスとして成立しているのは大都市中心のほんの一部にしか過ぎない。それもゼネコン等の企業内の業務としてが大半である。本当に市民のために必要な業務は、せいぜい数年の経験の役所職員が中心にならざるを得ない。
 専門家は、様変わりした業界の中で、ある人は政治家に転身し(しかし、「都市計画」出身では票が稼げない)、ある人は大学に転身し(しかし、今後必要もないような都市づくり論を教えるのだろうか?)ている。転身できた人はまだ良いかもしれない。転身できない人たちは、シンポジウム・勉強会・研修等々に励み、まちづくりの様々な活動に参加し、NPOを立ち上げ、何とか仕事をつくろうとしている。しかし、まちづくりの必要性はあっても、専門的な仕事などそこにはないんだから、ビジネスとして成立するかどうかははなはだ疑問だったりする。たまたま仕事があったりすると、競争入札制度の中でお互いに叩き合いでしか仕事にならないんだから、それもビジネスとしては心細い結果にしかならない。しかも、それをきちんと受け止めて動かしてもらえるのなら良いんだけれどなかなか動かしてもらえない。財政難や市民合意など、進められない理由なんていくらでも見つかるんだから…。

 これからの時代、まちづくりの専門家なんていうものが必要なんだろうかと考えることがある。確かに、再開発の専門家、PFI事業の専門家等、専門家という人たちはいる。しかし、私が考えるにはそれは「事業の技術者」である。従来の専門的な業務は財政難の中で役所内で実施することが求められている。確かに報告書づくりは見よう見まねで、つくるだけならできてしまうし、市民との話し合いは、それだけなら数年の役所経験があれば十分だし、時間をかければできるような気がしてしまう。
#役所の業務は経済性を考えていないから、時間は無尽蔵だと思っているらしい…それを問題にしなければであるが。
#また、形だけの成果で良いのであればであるが。


 自分たちの領域しか見られない「専門バカ」にはなりたくないが、私たちがどれほど必要だと思ってみても、それだけの費用が捻出できず求められないなら、覚悟を決めざるを得ないのだろう。
 もしそう見極めをつけたら、私のことだから、そんな世界には未練は持たないだろうなぁ。
都市計画コンサルタントの思い
(関係者にご迷惑をかける心配があり、削除しました)
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