まちづくり?
 このページは、日常の都市計画業務の中で感じたことをつれづれなるままに書き記したものです。  個人的独断的な意見ですのでそのつもりでご覧下さい。
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専門家が必要ですか?
 先の「地区のまちづくりの進め方」とは、ちょっとウラハラなことを書くようですが(^^ゞ。

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 バブルが弾ける頃までは、都市計画・まちづくりコンサルタントの仕事はやり切れないほどあったものである。それ自体異常なのであるが、あまりバブルの恩恵を蒙らなかった私の所のような会社でもかなり忙しい思いをしていた。
 それで、人を入れようにもこの仕事、クライアントは役所を中心として専門的な部署が多いので、コンサルタントとしてもかなりの専門的知識を必要とするし、新人が育つには年月がかかりすぎる。バブル時代には、「まちづくり」というイメージに惹かれてくる若い人々は、実際にはかなり地味で、知識・経験からかなりの努力も必要とされるこの仕事は耐えられないようであった。そのため、以後は業務を「都市計画」とし、日経新聞のみの求人に切り換えたものである。そんな中で、土木・建築等の出身者は、学生時代から徹夜仕事には慣れていることもあって、この仕事には向いていたようである。
 いずれにしても、その頃の仕事は「クライアントの要望にいかに応えるか」がメインであり、専門的な知識・能力が必要とされる計画(プランニング)の実務的な仕事が殆どであったと思う。

 バブル崩壊以後、緊縮財政の進行や市民意識の向上とともに、まちづくりには市民との合意形成のための作業が多くなった。そこでは都市計画(プランニング)よりも、合意形成プロセスが重視されるようになったように思う。格好良く言えば、私がやむを得ず言っている「プロセスのプランニング」が重要になってきたというわけである。ワークショップがもてはやされるようになり、それを専門とするコンサルタントまで出現したが、そこでは、全ての責任が市民に委ねられ、都市がどうあるべきかを考える専門家はむしろ不要として扱われているかのようである。責任を持たない(持ちたくない、持つ必要のない、持てない)人々には都合が良くなったのかもしれないとすら思う。
 確かに、その専門家が時代の波に乗ってバブルを招き、それに有頂天になって、この醜い国土・都市・農村を作ってきたことを反省する必要があるが、やはりこの国土の将来像を責任を持って考えるのは都市計画の専門家ではないんだろうか?私は、そう思っているし、そう思っていたい。
#それにしては、あまりにも無責任な専門家が多いのも事実なんだろう。もともとそういう無責任な開発担当者は専門家と呼ぶべきではないのかもしれないとも思うが、誰も区別できないのだから…。

 そのうちに、財政が破綻しかねない状況になり緊縮財政がさらに進み、都市づくりの予算が極限まで削られるようになってくると、市民参加=まちづくり、すなわち市民との話し合いが重要で、それが都市づくりを進めなくても良い口実にすらなっているように思える場面も見受けられるようになってきた。
 一方、活発に進むのは、都心再開発・住宅開発等、これが望ましい都市づくりと言えるのかどうか疑問に感じざるを得ない開発ばかりになってきた。つまり、底の浅い経済原則で動く都市づくりは進むが、本来求められるべき公共的な理念は軽視され、経済的なポテンシャルの乏しい地方都市の都市づくりは進めることができないということになってしまった。つまり、東京だけがバブル的で見苦しい都市づくりをどんどん進め、地方はさらに疲弊していくというのが、最近の都市づくりの構図である。


 PFI事業も経済原理が基調にあるので、必要不可欠な公共事業であってかつ経済的に成立しうる事業でしか成立しない。つまりいわゆる「普通の」地方はうち捨てられてしまっているかのようである。

 都市づくりと思って進めていたものが、いつの間にか都市壊しになっていなければいいのだが…と思う。

 都市計画・都市づくり・まちづくり…言葉はどうでも良いけれど、現在、ビジネスとして成立しているのは大都市中心のほんの一部にしか過ぎない。それもゼネコン等の企業内の業務としてが大半である。本当に市民のために必要な業務は、せいぜい数年の経験の役所職員が中心にならざるを得ない。
 専門家は、様変わりした業界の中で、ある人は政治家に転身し(しかし、「都市計画」出身では票が稼げない)、ある人は大学に転身し(しかし、今後必要もないような都市づくり論を教えるのだろうか?)ている。転身できた人はまだ良いかもしれない。転身できない人たちは、シンポジウム・勉強会・研修等々に励み、まちづくりの様々な活動に参加し、NPOを立ち上げ、何とか仕事をつくろうとしている。しかし、まちづくりの必要性はあっても、専門的な仕事などそこにはないんだから、ビジネスとして成立するかどうかははなはだ疑問だったりする。たまたま仕事があったりすると、競争入札制度の中でお互いに叩き合いでしか仕事にならないんだから、それもビジネスとしては心細い結果にしかならない。しかも、それをきちんと受け止めて動かしてもらえるのなら良いんだけれどなかなか動かしてもらえない。財政難や市民合意など、進められない理由なんていくらでも見つかるんだから…。

 これからの時代、まちづくりの専門家なんていうものが必要なんだろうかと考えることがある。確かに、再開発の専門家、PFI事業の専門家等、専門家という人たちはいる。しかし、私が考えるにはそれは「事業の技術者」である。従来の専門的な業務は財政難の中で役所内で実施することが求められている。確かに報告書づくりは見よう見まねで、つくるだけならできてしまうし、市民との話し合いは、それだけなら数年の役所経験があれば十分だし、時間をかければできるような気がしてしまう。
#役所の業務は経済性を考えていないから、時間は無尽蔵だと思っているらしい…それを問題にしなければであるが。
#また、形だけの成果で良いのであればであるが。


 自分たちの領域しか見られない「専門バカ」にはなりたくないが、私たちがどれほど必要だと思ってみても、それだけの費用が捻出できず求められないなら、覚悟を決めざるを得ないのだろう。
 もしそう見極めをつけたら、私のことだから、そんな世界には未練は持たないだろうなぁ。
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