まちづくり?
 このページは、日常の都市計画業務の中で感じたことをつれづれなるままに書き記したものです。  個人的独断的な意見ですのでそのつもりでご覧下さい。
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■まちづくりと行政
一応、強引に書き上げてみました。関心のある方は、ご一読下さい。


1.行政の違い・変化と変わらないもの


1)まちづくり業務の変遷

 以前の記事「■まちづくり環境の変遷と展望」で時代区分したように、各時代の都市政策があり、それに対応するまちづくり業務の変化がありました。既に書いてきたこととかなり重複する部分もありますが、まちづくり業務を重視しながら再整理してみたいと思います。
 簡単に言えば次のようになるでしょうか?


(1)戦後復興~高度経済成長期

 都市部への人口集中の時代であり、住宅団地・住宅地整備を始め、教育施設・道路・公共下水等の整備が急がれた時代です。もちろんやみくもに事業だけを進めるわけには行きませんから目標とすべき都市像が必要でした。そのため総合計画の策定に対応して、目標とすべき土地利用計画が空間的な都市像を示すものとして描かれることもありました。しかし、この時代の都市像はあくまでも、全市的な「都市イメージ」として描かれた都市像であり、その実現のための具体的な方策は示していませんでしたし、個々の地域像は殆どないに等しいものでした。

 この頃のまちづくりは、いわば個別事業の実施であり、区画整理等の面整備ならまだ良い方で、民間住宅開発等の後追いの道路・公共下水道整備、教育文化施設等の整備が中心であり、極端な話し、行政の部門別事業として実施されていくものであったと言えましょうか?

(2)経済安定成長期

 時代の推移とともに都市の将来像を具体的に実現するために、部門別計画である緑のマスタープランが制度的に位置づけられ、都市によっては、交通部門のマスタープランや都市の総合的な整備計画として都市基盤整備計画等が策定される都市も出てきました。
 さらに首都圏を中心として、財政フレームを踏まえた都市計画事業等のプログラム計画として「市街地整備計画」等の策定も進められました。これらはいずれも、都市像をハードな都市づくり面から実現していくための、より具体的な計画であると考えることができましょう。
 こうした中で、特に人々の関心を集めたものが、「地方中心市街地の活性化」の問題であったと思います。郊外部に広がるバイパスや沿道の開発により、中心市街地の衰退が明らかになりつつあったのです。しかし、当時進められていた都市政策は明らかに都市の拡大方向に向かっており、中心市街地活性化のための具体的方策は、それまであった商店街振興組合を中心とする通産省系の助成策と市街地再開発事業等建設省系の事業しかなく、実効性があまり期待できないものでした。
 当初は、中心市街地のまちづくりが必要であると認識している都市は少なく、「中心市街地は都市基盤も整っているので、中心市街地の整備はもう必要ない。今必要なのは、郊外に拡大しつつある都市の整備をいかに進めるか、である。」と考えていたようです。私が故郷で話しをした時、若気の至りもあって「行政が今進めていることはまちづくりではない、まち壊しだ」と言って、地元新聞にも「地元にツバする発言」として叩かれた時はまさにそうでした。

 この時期は、計画もより具体的かつ実践的なものに推移するとともに、それを実施するためには行政内の調整も必要になるなど部門間の調整も必要になってきていました。計画をまとめるにも、事業を実施するにもより総合的な視点が必要になってきていたようです。



(3)バブル経済期

 一時期減少するかに思われていた東京圏の人口が再び増勢に転ずる頃、地方都市では、中心市街地の活性化が重要なテーマとなっていました。また、密集市街地の環境改善等特定の課題を有する地区のまちづくりにも様々な例が出て来ていたき頃だったように思われます。つまり、課題を有する地区への総合的な取り組みが進められていた時期と言えましょう。
 中心市街地の活性化は、商業者だけに委ねるべきで問題ではなく全市的に取り組むべき課題として政策的な位置づけが強化されるようになりました。こうした動きに対応して、国からも計画策定費の助成の強化、省庁の施策の統合化等も進められており、いくつかの力のある都市で、ようやくその成果が見えるようになってきたのがこの頃と思われます。 比較的潤沢な調査費もあり、住民参加の具体的な試みとともに様々な地区整備の方策の検討が進められました。ここではまちづくりの目的がより深く明確になり、その実現のために、住民も含めたまちづくりが検討されてきたのでした。
 また、神戸、横浜等大都市では、既に都市づくり戦略のもとに大規模な事業が実施されていましたが、都心部における大規模敷地の総合的整備の問題も起きてきたのがこの頃です。国鉄の民営化により全国で約100箇所に及ぶ駅周辺の大規模敷地の整備が必要とされるようになりました。まさに新都市拠点整備事業はそのために創設されたものでした。特にこのような新拠点整備の事業では、住民は生活者だけでなく民間企業の活力を活かすものとして進められており、官民の連携(その後はパートナーシップ)による都市づくりの時代でもありました。

 この時期の計画は、より戦略的・実践的であるとともに、事業の実現には、住民及び民間企業も含めたより複雑な仕組みが必要となってきていました。
 テレトピア計画等の地域情報化計画、環境計画等新しい分野の計画がまとめられるようになったのも、この頃だと思われます。




(4)バブル崩壊以後

 バブル崩壊以後、時代は急展開をしたようです。

・緊迫の度を増す市町村財政とともに、それまでの人口増加を前提としていた計画は、一気に人口減少の時代を目前に控え、少子高齢化等を前提とする成熟社会に対応したものになってきました。持続型まちづくりなどという言葉も使われるようになりました。

・住民参加から「住民参画」や「住民主導」などと言われるようになり、都市計画マスタープランに代表されるように、住民の共有する意思こそがまちづくりの重要な柱になってきました。

・中心市街地は、計画やそれを実現するための「事業」の具体化というよりも、その主体であり、中心市街地を経営・運営する「TMO」をいかに支えていくかが重要になってきました。しかし、あまりはかばかしい成果をあげていないようにも見えます。活性化可能な都市はとっくにそうやっているという説もあるかもしれませんが、それは全国でもほんのわずかな都市のこと、むしろ、商業中心のまちづくりの限界が見えているのではないかと私には思われます。

・まちづくりのテーマは、都市再生、地域の復活であり、新事業より既存の地域資源の見直しによる環境・景観へと変化してきたように思われます。

・地方分権とともに合併論議が盛んになり、自治体の存続すらどうするのか、問われる時代になりました。

 こうした時代の変化と対応して「都市づくり」から「まちづくり」となり、住民の主体的な意思を重視(あるいはそれに依拠)するものになりました。行政が進めるのではなく、住民こそがまちづくりを進める主体として期待されるようになったと言い換えても良いかもしれません。
 制度的な枠組みも大きく変化してきました。「事業から調整へ」とでも言いましょうか?まちづくりには、行政が(主導して)進める事業より、まちづくりに係る様々な主体間の調整がより重要な役割を果たすようになってきたのです。その具体的な成果の一つ「まちづくり条例」は地方分権の中で、ますますその威力を発揮していくに違いありません。
 ただ、こうした変化の一方で、行政課題としての「まちづくり(特にハード面のまちづくり)」は、その比重が相対的に低下していることも忘れてはならないでしょう。




2)役所の違い・変化~変わらないもの

 こうした戦後(特に高度経済成長時代)から現在に至る時代の大波は、日本各地のまちづくりに影響を及ぼしてきた訳ですが、それは全国一律に同じ影響を及ぼしたわけではありませんし、もちろんそれに対する役所の対応の仕方も異なってきたわけですが、ここでは、「役所」というものについて、違い・変化~変わらないものといった視点で、「感想(程度のことですが)」を書いてみたいと思います。


(1)自治体の社風の違い

 いくつかの自治体とつき合ってみるとその差・違いを感じることが良くあります。


《自治体の社風の違い》

 例えば首都圏の自治体をみても、隣接する市町村の各役所の社風のようなものが随分違うと感じることがあります。感覚的に言えば、それは、それまでのまちづくり実績・歴史の違いが反映されているようです。
 例えば、区画整理事業を数多く進めている自治体は、事業というものを効率的に実施する感覚(例えば、住民との関係、県等上位機関との関係、実務の進め方、事業進捗における総合的な判断の仕方等)を豊かに持っているようです。しかし、そうした経験を持たない自治体では、事業の進め方が極めて心許ないだけではなく、日常の業務の雰囲気そのものがいかにものんびりしていたりします。


《地方と都市圏の違い》

 こうした個々の違いを大きく見れば、「地方」と「大都市圏」の自治体の違いにもなってきます。今、まちづくりでより懸念されるのは地方の筈なのに、いくら計画をつくってもなかなかそれを実施できないというのは、単に財政の問題だけではなく、実施には「人」が必要だからです。しかしながら、自治体の仕事の発注の仕方を見ていると外部の人材を効果的に活用しようという仕組みにはなっていません。少なくとも、こうした仕組みを変え、外部の人材を柔軟に入れるようにしていかない限り、地方のまちづくりはなかなか進まないでしょう。
 これは県の市町村との対し方にも反映します。県は多数の都市を抱え、県の意思が比較的伝わりやすい状況になっています。特に首都圏では実行力があって、県と対等的とも見える関係をつくっている都市も見られたりします。ところが地方に行けば行くほど都市の規模も小さく、村の数も多くなります。当然、県は指導的な態度が強くなります。市町村への横並び的な対応を基本とする県の、この指導的態度が市町村の独自性の発揮を殺してしまうこともあるのです。

 民間企業であれば、それは直接企業の盛衰につながるのですが、自治体の場合にはそう簡単に衰退はさせられません。しかし、同じまちづくりを進めようとしてもその困難さはスタート地点から大いに異なっているのです。


(2)世代の差による違い

 前節で、まちづくり業務の変遷について述べたのは、特にこの点を強く感じるからです。
 つまり、第1期、特に高度経済成長期は基本的には人口急増に対応する都市づくりが求められており、大量の技術者が求められました。彼らは団塊の世代であり役所の中でも大きな比重を持っています。しかし、様々な計画づくりとその実践が求められる第2期、さらにまちづくりにより高度で複雑な事業的側面が強くなる第3期になると、そうした技術者は役所内プランナーに成長していたとしても、未経験のプロジェクトを実施するため多くのコンサルタントと協力し曲がりなりにもそれを実現してきたのです。当時は、比較的潤沢な財政がありそれが可能でしたし、そうやって事業を実現するには膨大な仕事量をこなす必要もあったと思いますし、思い切った決断も必要だったでしょう。そうした経験が彼らにとっても大きな自信になっているに違いないと思うのです。しかし、そうした世代も、今ではとっくに定年を迎える年代なのです。
 その後、第2期、第3期と役所に入ってきた後の世代は、計画づくりは経験していても、基本的には下働きの世代であり、常に上司の指示を受けながら仕事をしていたわけですし、様々な調整が求められた世代なのではないかと思います。彼らが今の厳しい財政の中で求められることは、そうしたある意味自信満々の上司を説得でき、財政に負担をかけないでまちづくりを進めていくことなのです。だからこそ、調整のための会議が多くなり、決断がどうしても優柔不断になってしまうのは仕方ないことではないか、と最近では同情すら感じるようになりました。飛び抜けた行動を許さない役所の中にあって、そうした世代が生き生きとまちづくりに取り組んでいくためには、重たい上の世代が抜ける必要もあるかもしれませんし、そうした自らの位置の認識を踏まえ、実力を密かに蓄えておくことかもしれないと、私は思っているのです。是非がんばって欲しいものです。
 しかし、一方で、ハードなまちづくりは確実に減少しています。まちづくりはよりソフト面の比重が高まっているだけではなく、今後人員を必要とする福祉分野等への異動も必要になるでしょう。「まちづくり」とは空間形成のことではなく、人づくりであったり、住民を支える分野であったりすることになるでしょう。それを認識していないと今後、理想と現実の狭間でつらい思いをすることになるのではないでしょうか?


(3)情報化対応の違い

 前節で書いたように、次から次へと新たな都市づくりの課題が明確になる中で、様々な計画が策定されてきました。ここで私が特に指摘しておきたいまちづくりに影響を及ぼしている分野として、「情報化の差」を指摘しておきたいと思います。
 私自身はホームページを開設してすでに9年目になります。ところがこのまちづくりの分野は恐ろしいほど「情報」に疎いのです。しかしながらこれだけインターネットが普及してくると、徐々に行政にもまちづくり分野にも浸透してきています。私の知る限りでは、自治体の職員が日常業務の中で、最も良くパソコンを使いこなしているのは北九州市、次いで横浜市となっています。
#近年、ウィルス騒ぎでそうした利用が制限されがちなのは残念ですが…。

 本来、地方ほど情報化を進めそれを使いこなして欲しいと思うのですが、それが全くそうなっていないのは悲しい限りです。
 例えば、商業や観光をちょっと考えてみても、それを十分武器にしていけば、何も狭い商圏をあてにしなくても、あるいは全国にアピールして来街客を増やすことも、私にはそれほど難しいこととは思われないのです。
 ところが、「情報」というと「まち」を知らない専門業者であったり、情報に疎い都市計画部門であったりと、ちっともかみ合わないのです。

 それでも、今後はますますインターネットを中心として、職員がパソコンと情報を使いこなすように確実になるでしょう。そうすることによって何が変わっていくでしょうか?
 私には、少なくとも次のような情景が目に浮かぶのです。

 今、コンサルタントが行っているように、職員自身が、多くの情報の収集・分析・処理しているようになり、技術を持った人は、それをこぎれいにプレゼンテーションするようになっている。

 当然ながら、多くの計画づくりは職員が行っているでしょう。
 なぜなら、インターネット上にあらゆる先例となる計画書が蓄積されいるからです。現在の計画の殆どが、住民参加で行われ、美辞麗句でまとめられたものだとすれば、職員自身でまとめていくことは十分可能でしょう。「計画」の評価をできる人はそう多くありませんし、事実、その方が主体的な職員であるとか、財政負担を軽減しているということで賞賛されやすいからです。


 これまで計画づくりと言いながら、実際は殆どが雑用であったなどというコンサルタントは、これからどう生きていくのでしょうか?



3)役所に共通する体質

 一方、「全ての役所に共通する体質」とでも言えそうなものがあります。

 例えば、勤務環境では次のような点を指摘できましょうか?

・勤務時間や能力が十分反映されない給与体系
・能力よりも、円滑な人間関係が重視される職務環境
・突出を許さない、意欲を削いでいる(とも思える)業務の環境
・専門家が育たない(育てない)勤務の体系
・辞めさせられる心配のない職場


 首都圏のある自治体での話しです。
 指名参加願いを提出に行った社員が書類審査の職員に言われました。「お宅のような小さな会社は、こんな書類出しても仕事なんか出ないよ。」 こんな職員でも、のうのうと役所にいられるのです。
 また、財政が危機的状況のためなかなか思うように仕事ができない状況の中で「自分たちの給料は生活給のようなものだから…(仕事しなくても給与とは関係ないという意味か?)」と言ったとか言わないとか…。



 例えば、仕事の仕方では、次のような状況があるようです。

・創造性、独創性を阻害している事例重視の取り組み姿勢。
・自分で責任を負わない負わせない、協議主義。そのくせ、進まないことの責任は誰も負わない。
・過剰な(とも思える)市民サービス、市民意見を恐れるあまりの過剰な資料準備。

 そんな仕事ばかりじゃ楽しくないでしょう。もっと楽しい仕事をしませんか?



2.まちづくりにおける行政の役割


1)まちづくりにおける行政の役割は何か?

 近年市民は、まちづくりに関して様々な意見を持ち、具体的な係わりを持って活動している人も多くなっています。また、多くの地域でNPOが組織化され、活発な活動を開始しているようです。
 それでもなお、将来に向けて「まち」をどのように築いていくべきか、「それを考え実効することができる主体は行政である」ということは、誰も疑う人はいないでしょう。
#もし、それを疑う人がいれば、この後の私の話は意味がありません。

 少なくとも私は、「行政はまちづくりに責任がある」ということを忘れて欲しくないと思っています。そしてそれはその長たる首長が最も自覚すべきことだと思っているのです。
 ただ、首長は選挙によって市民に選出されるわけであり、その任期は2期とすれば8年程度ですが、まちづくりはその任期以上に長期間にわたるものです。ですから、首長として選出された人は、自分の任期以上の責任を感じるべきだと考えているのです。政治を自分の権力欲を満足させるための手段だと考えている人は論外ですが、長期にわたるまちづくりへの展望も持たず、そのための実行力にも自信がない人間には立候補だけはやめて欲しいと思います。選挙民に自覚を持って選挙して欲しいと願うと同様にです。

 もう一度明言しておきます。「行政は、市民の声を聞くことだけが大切なのではなく、望ましい将来に向け、まちづくりをリードすべきなのです。」
 そのためにこそ、市民の話を十分聞き、望ましいまちづくりの将来に向けて様々な意見の調和点を探り、コンサルタントの知恵をうまく活用しながらまちづくり手法を探ることが必要なのです。


2)行政は住民とどう向き合うべきか?

 成熟社会になるにつれ、市民の目は地域社会に向くようになり、まちづくりにも様々な意見を表明するようになりました。
 生活する視点から見れば、まちは市民が生き生きと活動する場であり、まちづくりには市民の意見を尊重すべきです。今でもすでにそうですが、高齢化社会の進展とともに、まちづくりに男性が参加することが増えてくれば、市民の意見はますます強くなって行政はその対応にますます悩む場が増えるように思われます。恐らく、市民への情報公開に汲々としている職員や、強硬な市民に恐る恐る対応している職員にとってはそうなるでしょう。
 しかし、少なくとも私の経験では、そういう職員は、「まちづくりに対する責任感が欠如していたり、市民に対して、その場しのぎの口先だけの答弁をしているのです。」少なくとも市民には、そうとしか見えない態度を示しているのです。それが市民にとってますます腹立たしくさせるのです。
 もし、市民に応対する職員から、確信を持ってまちづくりを進めようとしている、そのために自分達(市民)に対応しようとしている、そういう気迫を感じることができれば、時には敵対することがあるかもしれませんが、必然的に十分な話し合いが必要になるでしょうし、そうした努力・熱意があれば、最終的に多少の意見の食い違いがあったとしても、「後はお前にまかせた!」「思うようにやってみろ!」ということになるのではないでしょうか?


3)コンサルタントにはどう対応していくべきか?

 では、コンサルタントにはどう対していくべきでしょうか?
 コンサルタントは、常に市民と向き合っている行政職員と比べれば、地域に対する責任を持てるわけではありません。しかし、コンサルタントは、数年で異動していく行政職員より、はるかに長い間まちづくりに係わっており、仕事に対する責任は、行政職員より持っていると思いますし、まちづくりに対する経験、仕事をまとめる能力は、行政職員を上回っていると考えて良いでしょう。

 行政がコンサルタントをどのように見ているかは、コンサルタントの使い方を見ればよくわかると言えるかもしれません。
 単なる「資料づくり」や「記録まとめ」の便利屋として使っていこうとするなら、近年の傾向となっている競争入札(それも地域優先であったり、継続年数契約を避けるような)でも良いでしょう。しかし、本当に仕事をうまく進めることを目的としているのであれば、自ずとコンサルタントとの契約の仕方も変わってくるべきでしょう。
#そういうことを期待するのは、今の時代では不可能かもしれないと思ってもいるのですが…。
 少なくとも、コンサルタントをまちづくりに向けた協力者として考えているのであれば、「資料づくり」や「記録まとめ」ではなく、共に話し合い、役割分担をしながら仕事を進めるべきでしょう。コンサルタントは、どれほどそれを願っているか、行政職員にも気づいて欲しいものです。


3.今後の行政に期待すること


1)政策に期待すること

 私は、まちづくりにとって最も重要なことは政治、すなわち「都市政策」であると考えています。つまり、首長がまちづりをいかに考えているか、ということです。役所の職員が外で酒を飲む時、市長などのことをよく「社長」などと言っているのを聞いたことがありませんか?首長は役所にとってはいわば社長なのです。
 これまで、首長は「人事」に大きな力を発揮していたのですが、「財政」の方には実はあまり力を発揮できていませんでした。それは、これまでの首長は役所から出てきた人が多かったことがその主因なのですが、仮に、民間から選出された首長であっても、役所の縦割りや国からの補助金の仕組みのために、予算配分を大幅に動かすことができなかったということもありましょう。しかし一方では、財政当局も首長にそのあたりをできるだけ首長の自由にさせないようにしようとする力学も働いていたように思います。
 しかし最近は、首長になる人も、そのあたりの仕組みを理解した人がなることが多く、役所の全般にわたって強力なリーダーシップを発揮するようになってきたようです。それを良く感じさせるのが横浜市です。
 横浜市は、これまでは河川局出身の市長であり、どちらかと言えば、トンカチ事業やイベント事業等目立つことがお好きなようでしたが、最近は、財政の立て直しや、地域の活力をいかに高めていくべきか、といった地味ですが、着実な政策に転換されてきたように思います。つまり物理的な「まちづくり」から「都市全体のバランスと活性化」をいかに図るかといったことに転換されてきているんだと言って良いかもしれません。このような政策こそ、今、最も必要とされている都市政策であると、私も考えているのです。

 そして、「どのような政策を展開するか」「それをいかにわかりやすく示していくか」といったことは、地域の民間の力を目指す方向に結集していくために極めて重要なことです。それが最も効果的に実施できるのは基礎自治体である「市町村」です。だから、地域にとって、どのような人物が立候補するかが、そして、その中の誰を地域住民が選出するかが決定的に重要なのです。
 以前、国土庁からの委託で「調整費調査」なるものを行ったことがあります。それは、複数の地域・県にわたるような地域について、その整備方向を明確にするため、関連省庁(とコンサルタント)を集め総合的な調査・計画を実施するものです。私のところで、その全体とりまとめの役割を担ったのですが、その中で思ったことは、国の政策はあくまでも「需要対応」であって、「特定地域づくりのための都市政策を優先させることはない」ということです。国家レベルではそういう合意形成ができないからだと言ってしまえばそれだけのことなのですが…。


2)役所に期待すること

 高度経済成長期、人口がどんどん増えて新たなまちづくりが求められた時代は技術系の人間が必要とされました。しかし、社会が成熟化してくれば、福祉関連業務や住民との対応など、ソフト面に係わる人々が必要になっていくのは当たり前のことでしょう。時代の変化とともに政策が変われば、当然、役所の組織も変わらざるを得ません。役所の職員にもそれを自覚し、積極的に変わっていって欲しいと思います。民間社会では必要のない人間はどんどんリストラされたり、部署が転換されているのですから、それが役所だから適用されないで済むなどということはないのですから。
 役所の仕事は市民へのサービスのためにある、などと私は思いません。そういう考え方では「文句を言う市民のためのサービス組織」になってしまいがちです。私は、役所こそ、これからの地域社会のリーダーであって欲しいし、それを目指した組織であって欲しいと思うのです。


3)職員個人に期待すること

 そうした組織にしていくためには個々の職員に求められるのは、「それぞれの役職にとらわれるのではなく、広い視野を持ち、地域を築いていくために必要なことを考え行動していくこと」ではないでしょうか?そのためには、他の部署の仕事にもどんどん意見を述べ、積極的に参加していくことではないでしょうか?
 役所は「縦割り組織」であると言われますが、一旦部署を移ってしまうと、元の部署に関して全くの無関心になってしまう様は、端から見ていても信じがたい程です。仮に組織としてはその部署を離れても、係わっていた仕事がどのような結末を迎えることになるのか関心を持ち続けることが、個人にとっても、仕事をする上での充実感につながることであり、責任もであるのではないでしょうか?これまでの私の観察では、役所の皆さんあまりにもサッパリしすぎです。(^^ゞ
 ついでにもう一つ希望を述べておきましょう。それは、「市民(特に、文句を言う市民)」に対してではなく、あなたが考える理想のために、あるいは責任を感じるのであれば、文句を言わない一般市民を含む全市民に対する責任を持って仕事をしていただきたいということです。あまりに目先のことにとらわれすぎるのは、(職員である)あなた自身を小さくしてしまいますし、何よりもあなた自身がそれでは惨めでしょう。
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