まちづくり?
 このページは、日常の都市計画業務の中で感じたことをつれづれなるままに書き記したものです。  個人的独断的な意見ですのでそのつもりでご覧下さい。
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■まちづくり環境の変遷と展望
 いわゆる「まちづくりの環境」について考えるため、とりあえず、戦後の高度経済成長以後を見てみたと思います?
 私は、高度経済成長以後を以下の5期に分けて考えたいと思います。これを今後の論の展開のベースとしたいと思います。
(なお、この章はあくまでも「仮」のものであることをお断りしておきます。)


1.戦後復興~高度経済成長期

 戦後復興期~高度経済成長期にかけては、都市圏とりわけ大都市圏への人口集中や自動車時代の到来に対応して、全国的に新たなまちづくり(というより都市づくり)が要請されたました。
 道路整備、団地建設等、都市施設の新規建設の要請に効率的に対応するため、建築・土木を中心とする学生が大量に供給され、行政の中では技術職の増大が図られ各地で新たな都市づくりが進められました。当時都市計画の専門分野は特になく、建築・土木の一部講座で研究・実践が図られていた程度でした。
 都市計画技術はまだ未熟だったと言えましょうが、新たな都市づくりの根拠としては、単純な推計にもとづく量的な対応を中心とせざるをえず、人口予測・交通量予測にもとづく道路計画・団地計画等が進められていたと思います。
 この頃の「都市計画」は、マスタープランとして都市の将来像をどのように示しうるのかを主要テーマに、一部大学で産学協同研究として実践されていたにすぎませんでした。
 行政職員はいわゆる技術出身者が「都市づくり」に携わっていましたが、それはもっぱら設計技術者であり「計画技術者」ではありません。一方大学では「研究者」として携わっていたものであって、必ずしも「プランナー」として機能していたものではありませんでした。それでもこの世代を第1世代と呼ぶことにしましょう。


2.経済安定成長期

 昭和40年代中頃から後半にかけては、各地に環境問題が勃発し、その後オイルショックが起こることで、高度経済成長の反省期あるいは見直し期に入ることになりました。大学紛争の発生もこの頃であり、大学内の都市計画研究者の多くも民間コンサルタントとして都市計画のパイオニア的な役割を果たしていました。
 さらに50年代に入ると、「安定成長時代」「地方の時代」などの言葉とともに「まちづくり」も本格的に新たな時代に入ったようです。この頃には、東京都の人口も一時的に減少したりと、東京の成長の時期も終わりかと思わせるような時代でもありました。
 地方都市の活性化もまちづくりの重要なテーマになり始めていました。建設省の「地方都市活性化計画(シェイプアップ・マイ・タウン計画)」、建設省・通産省の「コミュニティマート構想モデル事業」等、地方中心都市の活性化のための計画づくりが進められました。高度経済成長期の都市づくりが結果的には拡散的な都市づくりであったのに対して、一部の行政が都市中心部の活性化に向けた都市づくりを進めようとしたのです。
 この頃には、「都市計画」はマスタープランとしてだけはなく、その実現性が重視されるようになっており、報告書の最後には「実現の方策」の章が加えられるとともに、そのための体制として、行政内の連携体制維持のための工夫も考慮されるようになったと思います。
 昭和50年代中期からバブル期の初期にかけて展開された「コミュニティマート構想モデル事業」では、(年間約4000万円という当時としては巨額の調査費にも驚かされますが)「省庁の連携」のみならず「住民(商業者)参加」等、実現に向けた「計画づくり」が具体的に考えられてきたようです。行政内の「計画技術者」の成長と「コンサルタント」の広がりが、こうした計画づくりを可能にしてきたと言えましょう。
 この頃、行政は、新たな都市づくりをリードすべき立場として、重要な役割を担っていることを自覚し始めた時期と言えるかもしれません。また、コンサルタントは、第1世代・第2世代が中心となって、計画づくりのプロとして自覚を持ち、行政をリードしながら計画づくりを進めることができた時期かもしれません。


3.バブル経済期

 昭和50年代後期から、バブル経済期に突入し、東京都の人口も再び増勢に転じました。
 各地で様々な都市づくり・まちづくりが、バラ色の未来に向かって華々しく展開されていった時代と言えましょう。
 行政内の「計画技術者」と「コンサルタント」も、比較的ゆとりある調査費の中で、協調的に楽しく仕事ができていたようですし、計画づくりへの住民参加も、アンケート調査等が中心ではあっても当然の手法になってきていました。
 バブル経済は、全国各地の諸事業を進め、行政内部にも「計画技術者」を数多く育てたのですが、「コンサルタント」も(乱立とは言わないまでも)玉石混交の多数時代を推し進めることになりました。
 営業力で仕事を確保し人員を増やしているコンサルタントが増加していく中で、行政側から見れば、優れたコンサルタントが見えにくくなる一方、計画のプロとしての強力なプライドを持っていた一部事務所も徐々に肥大化する組織について新たな組織のあり方が模索され始めていました。
 そうした中で、行政とコンサルタントとの関係は、それまでの協調関係から行政が主導権を握るような傾向が見え始めました。行政内で「コンサルタントを使いこなさなければいけない」などということが言われるようになったのはこの頃だと思います。すなわち、行政内の政策決定の立場には第1第2世代が座っているのに対して、コンサルタントは玉石混交の中で、第2世代、第3世代が仕事の中心になっており、相対的に行政の力が強くなってきたと言えるのかもしれません。
 一方、バブル期の象徴でもある全国主要都市のビッグプロジェクトには、国も強く関与することになり、必然的にそれらの計画に携わるコンサルタントには第1世代が中心となって行きました。結果的に、全国に同じようなコンセプト・土地利用計画のプロジェクトが広がっていったと言えるかもしれません。
 中心市街地活性化のための計画も、コミュニティーマート構想モデル事業における調査費の単年度集中投資の反省を踏まえて、(特定)高度商業集積等整備等の計画に変わっていきました。


4.バブル崩壊以後

 平成2年のバブル経済の崩壊以後、まちづくり(及び計画づくり)の環境は一変しました。すなわち、
・市町村財政はますます厳しく(従って調査費枠は厳しく)
・行政とコンサルタントの関係もよりシビアになり
・計画づくりより実現するための条件整備が重要視されるようになり
・バラ色の拠点整備計画から身近な環境整備が主要なテーマになり
・既存の環境の保全、更新・再生が主要なテーマになってきました。計画の性格も「都市づくり」から「まちづくり」へと変質していきました。

 同時に、一極集中・都心回帰等で浮かれる東京だけを例外として、(バブル経済期にも当然わかっていたことですが)人口減少時代への本格的な対応が現実のものとして迫ってくるようになったのです。
 特に財政は年を追う毎に厳しさを増しており、都市づくり事業は簡単には動かせなくなってきました。都市づくり事業の重要なポイントは「住民合意」と「事業性」になってきたように思います。そして、特に前者は市民参加方式で進める公共性の高い「まちづくり事業」として、後者は、都市における必要性からではなく、何が実現でき採算性があるかという事業性の論理から進められる「民間事業」に2極化してきているように思います。いずれも行政にとっては、自ら主導する対象ではなくなってきたのです。

 これまでの経過を追ってみるとわかりますが、都市政策は本当に必要な時期から常に10年ほど遅れて進められます。中心市街地活性化計画、都市マスタープラン、「都市再生」などがこんな時期になって推進されても、それが可能な都市はずっと以前に進めているわけですから、これらの新制度を活用できる都市はそうはないですし、余程の覚悟がなければ目標の達成などおぼつかないのです。単なる政治的なスローガンならそれで良いのですが…。

 当然、行政内の計画技術者も、民間プランナーもそれぞれの立場・役割が変化してきました。

 かって都市を造ることしか考えてこなかった人々、都市を消費する方向でしか都市づくりを進めてこなかった人々も、「省エネ」だとか「コンパクト・シティ」、「環境」、「景観」などを主張するようになってきたのです。これが時代の変化というものでしょうか(^^ゞ。
 それに方向転換できればまだ許せる気もしますが、既得権益にしがみつき従来の路線を強引に推し進めようとする人たちや体制はどうにも困ったものです。


 行政内では、財政的に事業推進が困難になるとともに市民合意が不可欠の条件になりつつあることから、それまでの市民意向の調査から計画づくりへの市民参加(市民参画とも言う)が不可欠になってきました。むしろそれこそがまちづくりの目標になってしまったかのようです。それらを直接担当する職員も第3世代が中心となっており、事業の性格、職場内の人間関係の点からも、自ら「決断」するのではなく「調整」こそが求められるようになりました。それだけではなく、職員自身も、直接技術を生かせる職場から福祉や市民対応(交流)のための部署へ異動させられたりする可能性を常に抱えているなど、意欲ある職員ほどその気持ちを維持しにくい環境になりつつあるように感じられます。
 まちづくり関連業務の発注も、特命(随意契約)によるものは殆どなくなって競争入札が前提になってきました。特命で担当レベルが発注できるものは例えば100万円以下の少額のものに限られ、しかも発注できる業務は行政内部で消化しきれない雑務が中心となってきました。つまり、「金がないんだから、行政職員ができるものは自らやれ!コンサルタントに委託せざるを得ないものも、職員はできるだけ頭を使え、やりきれないものはコンサルタントにまかせろ!」というわけですから、まちづくりについてどちらが主導権を握ることになるかは明らかです。しかも、経験年数の乏しい第3世代がコンサルタントを使おうというわけですから、どのようなまちづくりになっていくかはこれも明らかである、とは言い過ぎかもしれませんが…。
 また、かっては否定された産学協同も、地域貢献の視点から大学も地域に積極的に関わっていくことが求められるようになると、学生を使ったまちづくり計画づくりの提案が行われるようにもなりました。
 しかしこんな状況で、望ましい、また責任あるまちづくりを進めようという意思を、私には感じることができません。

 一方、「民間事業」は、東京を中心として、企業のリストラのために放出される土地の開発(それも住宅中心)が進められています。ここでは経済的な論理だけで進められており望ましい都市づくりへの目標は既に放棄されているようです。また、本当に活性化が必要な地方都市は無視されているかのようです。
 今や、まちづくりを進めているものは「計画」ではなく「合意と事業性」なのですからプロのプランナーが要請される余地は殆どないのです。むしろ必要なのは、様々な人々の意見をとりまとめ合意に至るプログラムを実施できる人か、企業内の事業屋が諸分野の専門家をコントロールできさえすれば良いのです。

 それにしても、安全性も不確かなまま東京で乱立していく自己主張だけで見苦しい超高層を見るたびに情けなくなります。これが望ましい都市づくりか?都市づくりに係わる人々は「理想」や「責任」を放棄し、単なる都市づくり屋に成り下がってしまったのか?と…。
 これではこれまで推進してきた消耗する都市づくりに対する反省などどこにも感じられません。


 都市づくりの明確なビジョンや意思のない「まちづくり」の中で、多くのコンサルタント・プランナーも一部は「大学や政界」に活路を見出し、多くは「NPO」を中心として何とか生きる道を模索し、その他はプランナーとしてではなく「業者」として仕事を終えようとしているのかもしれません。第1世代、第2世代の行政職員もそろそろ退職年齢を迎えているのがこの時期かもしれません。


5.今後の展望

 私自らを位置づけるとすれば第2世代になるかもしれません。望ましい都市づくりのために働きたいという思い入れは強いのですが、それは私個人の考えることであって、長期的に「今」を考えてみれば、そんなことはどうでも良いことです。
 これからの都市づくりは、都市像として描かれた将来像を「建設していくこと」ではなく、人々が共有しうる将来像に向けて、「様々なまちづくり活動を誘導していくこと」だと言えないでしょうか?
 そう考えると、私自身が目指した「トータルな視点でまちづくりをコントロールしていく計画者(ジェネラル・プランナー)」は、どこにも存在する場所を見いだせないようです。従来あった「プロとしてのプランナー」は海外に活動の場を見出せば別ですが、今の国内では明らかに多すぎます。
 我が国でこれから必要なのは、業務として成り立つかどうかは別として、環境問題や、地域環境や景観を保全しより豊かなものとして維持するための活動を組織していくことであるように思われます。また、「まちづくり」に限定して言っても「関係者の意思を結集させていくプログラマー」のような役割だと言えるかもしれません。それは、コンサルタントや都市計画の専門家ではなく、人間が好きで、面倒見が良くて、できれば多くの人脈を持ち、多くの時間を割いて、人々の集まりを設定し、活発な意見交換を促し、それらを集約していける能力を持った人であれば誰でも良いのです。
 そこでは固定した目標を決定する必要さえないかもしれません。明確な目標に向けて実施するものは、民間事業として進められることになるでしょうから…。「まちづくり」としては、常に流動する人々の行動を緩やかにコントロールして行きさえすれば良いことのように思われます。恐らくその中心的な役割を果たすのは「首長(及び行政)」しかいないでしょうし、特に活発な活動の中心には重要な役割を担うリーダーがいることでしょう。それはNPOかもしれませんし、行政の職員かもしれませんし、地域の代表かもしれませんが…。
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