まちづくり?
 このページは、日常の都市計画業務の中で感じたことをつれづれなるままに書き記したものです。  個人的独断的な意見ですのでそのつもりでご覧下さい。
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■まちづくりと地域住民
1.なぜ「住民参加」か?


1)「住民参加」の背景

 いつ頃から「住民参加」と言われるようになったか…。
 恐らく、昭和50年代、安定成長期と呼ばれる時代に入る頃、市民意識の成長と共に、「高度経済成長期への反省から地方都市や身近な生活環境が重視されるようになって」、あるいは、「高度経済成長期の計画先行ではなかなか公共事業が進まなくなって」、言われるようになってきたようです。
 それ以前にも、総合計画の策定には、住民意向調査等により(必ずしも無視されていたわけではないという程度で)住民意向が考慮されてはいたわけですし、区画整理事業などでは住民意向が前提となっていたわけですが、直接、「計画づくり」のために住民の意向を把握したり、住民と共に計画づくりを進めようという考え方が定着するのは、最初の中心市街地活性化計画を具体化しようとしていた頃のように思われます。
 そういう経緯を踏まえると、


◆「実行性のある計画をつくっていくためには、住民の意向を十分踏まえて進める必要がある」という認識がそのスタートにあり、

◆当時のまちづくりの重要課題の一つであった中心市街地の活性化のためには商業者自らのまちづくりが不可欠であることから、商業者を中心とする住民の意思をまちづくりに集結・誘導していく 等のために、

「住民参加」が定着してきたように思われます。

 その後、住民参加による計画づくりの認識やその方法が定着していくにつれて、地区の事業推進のためだけではなく、広域の計画づくりにも「住民参加方式」として一般化されてきたようです。
 
 そして、その後その方向は、

◆一つは、中心市街地等特定地区の計画を市の政策として位置づけるために「委員会」方式として
◆一つは、住民の多様な意見をまとめていくための方式=ワークショップ方式=として

各地の計画づくりに普及していったように思われます。


2)「住民参加」がめざすもの

 生活水準の向上とともに人々の関心はより豊かな生活環境へと向かい、主体的な市民の成長とともに「地域住民の関心がまちづくりに向かっていくことは必然ですし」、都市の成熟化、人口の高齢化とともに「行政の施策の重点が、まちづくりから福祉に向かうのも必然です」から、まちづくりに地域住民の果たす役割が高まっていくのも必然的です。
 したがって、今後のまちづくりに「住民参加が不可欠」だとすれば、具体的には、それによってで何が実現されるべきなのでしょうか?
 私は次のように考えています。

◆「まちづくり計画」に地域住民の叡智を結集するとともに、計画を地域住民に認識・共有されたものとし、計画の実行性を高める。
◆住民参加を通して、「まちづくり計画」を実際に推進する(事業)主体を育む。
◆事業等の推進者としてだけでなく、事業を運営管理したり、地域環境を維持し続ける「持続する地域を支える主体」を育成する。

 しかも重要なのは、それが個人の集合ではなく「《組織体》として、時代の変化に対応しつつその機能を維持し得るものにしていくか?」ということにあると考えています。


3)住民参加の過程で何を考慮すべきか

 そのため、これからの「住民参加」は、単に「委員会方式」「ワークショップ方式」にとらわれず、次のような視点を含み込んだ展開が求められているように思われます。


●計画づくりの過程の中では
・同じ地域に居住する住民の中に、いかに様々な考え方があるかを理解してもらう。
・どのようにしたら、地域住民の叡智を計画に結集していくことが可能か?また住民にもわかり受け取りやすい計画とすることが可能か?
・様々な実践の中で、「計画づくり」「まちづくり」に住民が果たしうる役割としてどのようなものがあるか考え、理解してもらうことができ、それを住民共通の認識とすることが可能か?
・まちづくり計画のプロセスを体験する中で、どのようにしたら、効果的に住民の叡智をを集約することができ、計画としてとりまとめるにはどのようにしたらよいかを考えてもらえるか?

●事業化を目指した中では
・どのようにしたら、事業主体としての条件を理解し、自ら事業主体となるための覚悟を促すことが可能か?
・どのようにしたら、この機会を事業主体たり得る組織形成の契機とすることが可能か?

●地区の持続的発展を目指した中では
・どのようにしたら、地域住民がお互いの顔を知り、交流の機会としていくことが可能か?
・どのようにしたら、地区の持続的管理運営のための組織化の契機とすることが可能か? 等々

 こんなことを書いてきたのは、私にはどうも、最近「住民参加」があまりにも形式化されすぎているのではないか?という懸念があるからなのです。ただやれば良いというものではないでしょう。



2.計画づくりと住民参加


1)「まちづくり計画」と住民参加

 一般的には「計画」は以下のような構成またはステップがあり、それぞれの段階における「計画と住民との係わり」があると考えられます。


(1)現状及び課題の把握

 まちづくりのスタートとなるまちづくり課題を住民共有のものとしていく段階です。

・住民の意向を把握するためには、アンケート調査、ヒアリング調査、住民会議等様々な方法があります。大抵の方法は以前から採用されていたものです。
・「まち歩き」等による「問題・課題図の作成」は、とりわけ「住民参加」の言葉とともに採用されてきた方法だと思われます。

 いずれにしても、多様な住民の意向の中からまちづくり課題を共有するために工夫されてきた方法です。


(2)計画づくり(計画の目標・方針~計画内容の絞り込み)

 まちづくりの基本方向や目標、まちづくりの進め方に関する基本的な考え方等を、住民共有のものとしていく段階であり、さらに実施すべき事業等がリストアップされ、計画に盛り込む事項を絞り込んでいく段階です。

・従来は、(1)の段階を踏まえ、コンサルタント・行政等が原案をつくり、それをたたき台として修正していくのが従来の方法でした。しかし、最終的には、原案からそう大きく変更されないものに落ち着くのが一般的な結果です。

・「住民参加」がより強く求められるようになると、住民の代表が原案づくりに参加したり、計画づくりに住民がグループに別れるなどして皆で原案を作成するような方法がとられるようになりました。特にこうした住民と協働する計画づくりは「ワークショップ」と呼ばれ、様々な方法が工夫されるとともに、そのための専門家(コンサルタント)も生まれてきました。

・オーソライズの必要性が高いも計画の場合には「委員会」を中心として計画をつくっていく場合もありますし、「ワークショップ」と「委員会」を併用して進めることもあります。

・いずれにしても、こうして作成された「計画原案」をさらに広く市民に示し、その意見を盛り込んで最終的な「計画」としていく方法が近年の一般的方法となりました。

 しかし、まちづくり計画には、都市マスタープランのように、「住民参加」による計画づくりが求められている「計画的性格」の強いものもあり、土地区画整理事業や再開発事業のように、個人の財産に直接係わる「事業」や、公園整備のように個人の財産とは直接関係しない参加の任意性の強い「公共的な事業」などに係わる様々な「計画」があります。 住民参加においては、計画の性格によって、それにふさわしい方法というのは当然異なってくる筈です。



(3)実現に向けて

 しかし、住民参加の最も重要な点は、それが「計画づくり」のためにあるのではなく、むしろ計画の内容をいかに実現していくか?それを住民と共に具体化していくこと、その際、住民と協働してまちづくりを進めていくためにこそあるのではないでしょうか?
 そのために計画段階から参加を必要としている筈なのです。それが「計画づくり」の中にどう盛り込むことが出来るかを考えておく必要があると思われます。



2)「住民参加」の懸念

 ところが、時代が進み、「住民参加」が一般化し計画づくりの前提的条件となるにつれ、徐々に形式化したり、「住民参加」に責任を転嫁したりしてはいないかと、懸念されるのです。
 例えば次のような点はいかがでしょうか?
# これらはもちろん、それぞれ状況が異なるものですから、関係者が「自分の場合は違う」と言い
# 切れればそれで良いのですが…。



・住民参加をどのように進めるべきか、十分吟味して進めているか?

 住民参加とはあくまでも計画づくりの手段であり、もともと「こうすべきである」という定見があるわけではありません。したがって、住民意見を尊重するために、住民参加方式によって住民と共に考えていく必要がある、ということで「目的・手段等、十分な吟味をしないまま先例のやり方を踏襲したり、ただ話し合いの場を持てばよいというような運営をしたりはしていませんか?」
 住民参加の方法は多様です。ただ住民の言いたいことをきちんと聞く場が有りさえすれば良いのかもしれません。意味もない会議を頻繁に開かれても、あるいは決定したと思ったことでも何の決定にもなっていなかったりするのも、住民にとっては迷惑なだけでしょう。


・住民が継続して話し合っていけるような条件が用意されているか?

 「計画づくり」が終われば住民参加も終わりではありません。むしろそれ以後の方が重要なのです。
 例えば1年かけて計画づくりの場を用意してきて、計画がまとまったら、「来年以降は自由に議論して下さい。」ということにしてはいませんか?


・住民参加が目的化していないか?

 さらに私の心配は、本来、手段である「住民参加」が最近は目的化しているのではないか、ということです。
 「住民参加」の事例が増えてくると、住民参加の経緯のまとめ方や、住民への情報提供の試みだけが、過去の事例を踏まえてますます詳細化していくようです。まちづくり本来の目的を大切にするよりも、各種会議の結果に関する詳細な報告書、まちづくりニュースやパンフレット等の提供等、必要以上に詳細化していませんか?
 あるいは、ワークショップが住民意見を集約していくのに適していそうだからと、ワークショップの運営が目的化していたりはしていませんか?
 本来の目的を忘れた住民参加では、単なるアリバイづくりではないか!という批判に応えることができないでしょう。


・計画策定責任者の責任逃れにはなっていないか?

 これはちょっと言い過ぎであることは承知の上、計画担当者の心に問いかけてみたいと思います。
 計画がまとまらな理由を「住民意見がまとまらないから…」ということにしてはいませんか?まとまらないのはまとまるように運営していないからだとは考えられませんか?


・時間稼ぎになってはいないか?

 市町村財政が厳しさを増すにつれ、住民参加による協議等に時間を費やし事業が遅延するのがあたりまえのような状況になってきました。財政的には、具体的な事業実施よりもはるかに少ない経費で済むわけですから、その方が都合が良いという場合もあると思われます。つまり住民参加は必要なことなのですが、必要なまちづくりの実現を遅延させているかもしれないというわけです。まさか、意図的にそうしているとは思いたくないのですが…。
# まあそれでも、必要のない事業に税金を費やされるよりはましかもしれませんが…。



3.実践的な住民参加の方法

 「住民参加」ってそんなに難しいことでしょうか?そのための専門家がいなければ出来ないことなのでしょうか?私にはとてもそうは思えないのです。
 そういう立場から、私の考える住民参加のポイントを考えてみます。


・まずは白紙状態で

 まちづくりは、まず話し合うということからスタートします。計画主体は、まず関係者の話を聞くことが大切でしょう。
 どのような計画づくりも、住民に意見を伺う機会が必要なものなら、それはまず最初に白紙状態で行うべきです。
 その方が、たたき台を作成してから住民の意見を聞くより、はるかにうまく(計画策定プロセスとしても、関係者の満足度としても)計画づくりを進めることができるでしょう。


・形式的な会議より話し合いの機会(形式より中身)

 「《ワークショップ》で計画づくりをはじめます。」などという前に、なぜ率直に住民の話しを聞くことからスタートできないのでしょうか?ある地区で、区画整理事業もかなり進んだところでざっくばらんに住民の意見を聞く機会を設けた際、「ようやく言いたいことが言えた」と言って帰った住民の声が頭に残っています。なぜもっと早くから、こういう機会が設けられなかったのでしょう。ワークショップなら十分な意見を聞き出すことができると考えるならそれは大間違いです。
 大切なのは納得するまで意見を出して貰うこと、計画には、その意見を十分盛り込んでいくという姿勢だと思うからです。


・どのような計画をつくろうとしているのか十分な説明を

 住民には、これから作成するまちづくり計画の目標・位置づけ、それが何の役に立つのか十分説明する必要があります。ただでさえ、住民は、それが理解しにくいのですから…。


・計画づくりの進め方も十分説明を

 また、特に従来の会議方式と異なる《ワークショップ方式》で進めようとするなら、そのことも事前に説明する必要があります。従来の会議方式に慣れた人、特に会議を自分の意見で引っ張っていこうという意図のある人は、その方式を「子供だまし」だと考えるかもしれません(現実にあった話しです)。

 委員会等、代表者を中心とした会議を中心に計画づくりを進めるのであれば、その代表者がどのように選出されたのか、十分認知されるように進める必要があります。それが曖昧なままですと、委員会の存在自体を否定されうことになりかねません。
 会議での議論の経過、計画のたたき台等、住民への周知を図り、意見を聞き取る機会(回数、タイミング)は十分考慮して下さい。
 こぎれいな《まちづくりニュースやパンフレット等》よりも、むしろ住民代表が地域住民に説明できることの方がはるかに意味があります。


・事業につながる計画づくりは、事業のことをわかっている人間が係わるべき

 文言表現が重要な「計画のための計画」ではそれほど致命的にはならないことでも、「事業のための計画」では後々その事業を規定してくることもあります。
 土地区画整理事業の最初の構想づくりの段階で事業を知らないコンサルタントが係わって住民参加による計画づくりを進めたために、見栄えの良い土地利用構想はできたかもしれませんが、それが実際の事業推進を困難にしている例もあるのです。


・ファシリテーター、コンサルタントをあてにし過ぎない

 原案やたたき台を作成するためには、それなりの専門家が必要だとは思いますが、住民参加方式で進める会議、特にワークショップ方式でもそれを専門に行っているコンサルタントがいるくらいですから、専門家が必要だと考える行政職員は多いようです。
 確かに、コンサルタント等の専門家が入った方がスマートで格好良く進められるかもしれません。しかし、もっと大切なのは「計画づくりの主体と住民の十分な理解」である筈です。格好良くなくても、一生懸命取り組む姿勢を住民に理解してもらうことの方がはるかに効果が大きいはずです。ファシリテータ(進行役)やコンサルタントをあてにし過ぎないことが大切でしょう。
 

・住民も高齢化するなど変わっていくことを考えておくべき

 近年は、公園づくりなどを住民参加で行うことが多くなりました。公園をより活用してもらうために、あるいは公園の維持管理を住民主体で行ってもらうためにです。
 しかし、参加した住民も歳を重ねていきます。住民が個人の集まりでは、管理などいずれ疲れてできなくなってしまいます。住民参加で活用をイメージしてつくった公園でも、希望する使い方が高齢化によって変わっていくかもしれないのです。
 世代の引き継ぎが十分行われること、住民が変わっても活きつづける整備、難しいことですが、住民意見だけで計画をつくることの問題も考えておくべきでしょう。


・住民だって疲れる

 住民参加はもともと簡単ではありません。十分な数の参加者が得られないために声をかけられる住民も結構いるようです。そんなことが度々となれば、参加する住民だってうんざりです。
 様々な会議に出席できるような時間的余裕のある住民ばかりではないのです。関心はあっても、そう度々は出席できない住民も多いはずです。
 直接参加が必要な機会は効果的に設けるとともに、それ以外の参加のあり方も十分検討する必要があるでしょう。しかし、それをインターネットで公開すればOKだなんて、短絡的に考えないで欲しいものです。住民に参加を求める方法はあくまでも直接的な方法が効果的な筈なのですから…。



4.住民参加の課題

 今後は、様々な局面に「住民参加」は浸透していくことになると思われます。
 それでも、次のような点は、常に課題として残っていくように思います。恐らく住民参加の永遠のテーマなのかもしれません。


1)住民とは誰か


◆住民参加に集まる人々は住民の代表だと考えて良いのか?

 通常、任意に開催される「住民参加方式」に参加する方々の多くは、下記のような人々です。
・男性では50~60歳以上のリタイアした人かそれが間近の人
・女性では子育てが終わった主婦
 これに、学生やもちろんそれ以外の若い人々が加わりますが、人数からすればかなり少なくなります。

 「委員会方式」等では、地域の様々な組織の代表者に、一般の方々から有志を募って加えることがある程度です。
 
 もちろん、様々な意見を集める段階や、計画づくりの途中で意見を求める場合などには広く住民の参加を求める試みを行います。
 それでもなお、それに参加した人が住民の代表なのか?という疑問を私は感じているのです。「意見を出せる人々は、住民の中でも恵まれた人たちなのではないでしょうか?」会議に出席できない人々、生活に困ったりしていてそれどころではない人々や日本語のわからない人々の意見はどのように汲み上げるのでしょうか?

 恐らく、どのようなやり方をしても、「少なくともここまでやった」ということは言えても、完全に満足の行く答えはないでしょう。それに、市民のボランティアだけで進められたものならそうではないのですが、少なくとも税金を使って進めるものである場合には、(あまりそれが問題にされたことは聞いたことがありませんが)自ずと適正な限界がある筈だと私は思うのです。

 ですから、私が言いたいのは、

 住民参加は、どこまで徹底して行ったとしても、完全なものにはなり得ないとすれば、少なくとも、参加者だけの意見によって計画がつくられるのではなく、参加者自身が、他の住民の意思も代表しているという自覚を持って進めるようなものにして欲しい。

と言うことなのです。


◆住民の総意だとどのように判断するのか?

 同様なことは、計画等の認知段階でも言えると思います。即ち、どのような状態になれば、それが住民の総意だと言えるか?
 どのような計画でも、住民の属性により考え方が異なるとすれば、その計画を住民に認知して貰うために、どのような方法で理解してもらい納得してもらえば良いのかはなかなか難しい問題です。

 例えば、市町村合併問題などで住民投票の報道を見ることがあります。その場合、私が懸念するのは、下記のような手順がきちんと踏まれないまま行われているのではないか、ということです。
・合併をした場合、しない場合について比較した検討がきちんとされ
・住民にその違いが理解され
・その上で住民投票が行われていか
 抽象的事項の羅列で判断しろというのは、それは感想ではあっても、意思決定にはとてもならないでしょう。中学生まで含めて(そういう村もあったようですが)住民投票させれば良いというものではないと考えます。


 その計画に対して住民が合意を得るには、ただ、広く合意を得さえすれば良いのではなく、判断可能な「判断基準(選択肢等)」を的確に示すことが必要な場合もあります。そうした判断基準を明確にすることも計画の重要な成果だと考える必要があります。



2)住民参加で何を実現するのか

 住民参加を始めるとやりたいこと、やるべきこと等、際限がありません。様々な事例が集まってくると、行政が行う場合には、それが際限なく形式化していくかのようです。
 もちろん、予算は決まっていますから、コンサルタントや職員がそういう形式を整えていくことになります。しかし、住民参加については、形式よりもっと重要なことがあることが十分考えられているのでしょうか?
# 次章で職員の役割について言及しますので、そういう問題点だけを指摘しておきます。

 住民参加で動かすと決意したことには、本来の目的がある筈です。また、それに付随する期待されて事項もあるでしょう。
・課題を明確にしておきたいのか?
・住民が共有できる目標を明確にしたいのか?
・今後推進すべき計画・事業を明確にしたいのか?
・進めるべき事業の主体の意思を明確にしたいのか?
   ・
   ・
   ・
・全体を通して住民参加方式が学習されれば良いのか?
・まがりなりにも住民参加でやったという証(あかし)があれば良いのか?

 もちろん後半は冗談ですが、仮に前者のような意思を持っていても、計画から実施につながるためには、様々なステップがあります。住民の意図と実際と食い違うことが少なくないのです。もし、そうした不幸な結果が重なれば、参加した住民の気持ちはどのようなものでしょうか?
 
 少なくとも、住民参加で何を実現するのか関係者が明確に認識し、それに近づけられるような進め方をして欲しいものです。それに、ことさら住民参加と言わなくても、あるいはそれらしい形式をわざわざとらなくても別の方法だってあるかもしれませんし…。


3)住民参加の望ましい方法は?

 もちろんそんな方法が最初からある筈ありません。
 ただ、間違うべきではないということはあると思います。そのいくつかを書いてみます。

 住民参加の「方法」を考える以前に、住民と可能な限り話し合う機会を設けることの方がはるかに重要である。

 「住民参加」を格好良く進めようとする必要は全くない。
 例えば、パソコンを使って格好良くプレゼンテーションをするより、住民自らが手を動かしたものをもとに、試行錯誤しながら手作りで共に創り上げていったものの方が、はるかに真実が込められているのではないでしょうか?
 それに、住民参加の方法については、様々なテキストがすでに沢山あります。それらを参考にしながら、関係者が責任を自覚しつつ進める方が、はるかに身のある成果が得られると思います。

 したがって、最初からコンサルタントが必要だと考える必要はないと思います。コンサルタントは計画をまとめる技術的部分を請け負っても、計画の当事者ではないのです。
 当事者が本当に真剣に計画づくりを進めようと決意するなら、コンサルタントのような役割が本当に必要とされるのは、対立する意見をまとめうために適切な仲介者が必要だったり、具体案を提示する必要があったりする場合等、極めて限定された場合だけだと言っても言い過ぎではないと思いますがいかがでしょうか?
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